湖に沈む村?トトロの森の狭山湖の心霊現象と廃村の関係は? ①

以前、トトロの森について色々と書いてきましたが、今回もそれに引き続きまたトトロの森に関係することについて書いていきたいと思います。
前回の記事はこちらです

今回はトトロの森の中にある大きな湖・狭山湖と、その湖に沈む廃村について書いていきたいと思います。

※先日、狭山湖に友達と訪れました。
よろしければ『トトロの森にある狭山湖を散策!狭山丘陵の巨大湖はなぜ怖いのか?』の記事で書いていますので御覧ください。

前回は池でしたが今回は湖です。

偶然ににも水に関係することが続きます。

そして前回同様、悲しい過去について触れていくことになります。

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トトロの森にある2つの湖

さて、ところでトトロの森とは何なのか?

以前書いた記事にも書きましたが、簡単に紹介していきますね。

名前からも想像つくでしょう、トトロの森はスタジオジブリ作品のとなりのトトロの舞台となった場所です。
トトロの森正式名称は狭山丘陵です。

狭山丘陵は東京西部と埼玉南西部にまたがる形で存在する狭山丘陵は豊かな自然や里山が多く残っている場所です。

なのでトトロの世界に入った気分になれる素敵な場所です。

狭山丘陵の面積は約3500ヘクタールというそれほど大きくない面積ですが、武蔵野台地のまっただ中に、何故か3500ヘクタールが丘陵地帯となっているのです。

そのため『首都圏に広がる緑の孤島』と呼ばれていますが、本当に孤島のようだなと僕は感じています。
(狭山丘陵に関してはこちらの記事でも書いています

さてこの狭山丘陵ですが、大きな湖が2つもあります。

狭山丘陵は都心近くにある緑の孤島ですが、その緑の孤島にある意味不釣り合いなくらい大きな湖だと僕は感じています。

2つの湖はそれぞれ多摩湖、狭山湖です。

狭山丘陵は東京都と埼玉県に跨っていると書きましたが、丁度きりよく多摩湖は東京都、狭山湖は埼玉県にあります。

どちらの湖も堤体からの眺めは美しいです。

都心の近くとは思えないほどの広々とした場所です。

なのですが、僕はどうもこの2つの湖に対して、なんとなく不気味さを感じています。

というのも、わずか3500ヘクタールの丘陵地帯に対して、面積の大きな湖が2つドーン、ドーンとある感じが、感覚的に不自然さを感じるからかもしれません。

アンバランスな感じと言っても良いかもしれません。

そして、2つの湖の周りは基本的に人家が少ないです。

昼は堤体には景色を眺めに来ている人も結構いたと記憶していますが、夜は基本誰も歩いていません。

湖の周りは林しかありませんから、夜はかなり怖いと思います。

ちなみに都心から多摩湖と狭山湖へのアクセスは比較的容易です。

同じ湖でも相模湖、津久井湖、奥多摩湖などなどに比べれば全然都心に近いです。

というか、都心から一番近くにある湖となったら、多摩湖と狭山湖ということになるでしょう。

しかし、実際訪れると都心近くとは思えない不思議な気分にさせられます。色んな意味で。

2つの湖は、緑の孤島であるトトロの森に存在する『どこかへつながっている穴のようだ』と言えばよいでしょうか・・・。

なかなかうまく言い表わせませんが・・・・。

さて、ちょっと前置きが長くなってしまいましたが、今回は2つの湖のうち狭山湖について書いていきますが、最初に書いたとおり狭山湖の湖の底には村が沈んでいるのです。
ただでさえ、不気味さを感じる狭山湖ですが、これを聞くと更に怖くなりました。

そもそもなぜ狭山湖の下には村が沈んでいるのか?

それについて書いていく前に、多摩湖と狭山湖の成り立ちについて書いていきたいと思います。

多摩湖と狭山湖は人造湖

そもそも狭山湖は自然にできた湖ではありません。

人造湖です。

ちなみに多摩湖も人造湖です。

人造湖すなわち人が作った湖です。

先ほど僕は、この湖が小さな丘陵地帯に2つドーンとあるのに不自然さを感じると書きましたが、その理由として人造湖だったからとも言えると思います。

2つの湖がこれほど接近して存在しているなんてことは自然界では無いことでしょうから。

それにしても何故これほど接近した場所に2つも湖があるんだという感じです。

近い場所に2つ作るのだったら、2つつなげて最初から1つの大きな人造湖にしてしまっても良いのではないかと思いました。

なぜ2つの湖なのか、そしてなぜトトロの森・狭山丘陵に多摩湖、狭山湖を作る必要があったのか?

以下にそれについて書いていきます。

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東京の水道事情

さて、多摩湖と狭山湖、この2つの人造湖ですが、何のために作られたのかですが、答えは東京の人々の水源確保です。

水源確保と言ってもなかなかイメージがつかないと思います。

少し長くなりますが、東京の水道について軽く書いていきたいと思います。

まず、東京の水道の歴史をたどると、なんと江戸時代まで遡れます。

東京すなわち江戸の水道の起源は徳川家康の時代です。

幕府が江戸に開設された頃ですね。1600年くらいです。

東京の水道の起源をたどるとそんな昔まで遡れるのです。

小石川上水(後に神田上水)を筆頭にその後、玉川上水をはじめ様々な上水が整備されました。

作られた上水の大半は後に廃止されていきましたが、神田上水の玉川上水2つは江戸時代の最後まで残ったのでした。

2つの上水は、江戸時代初期からの水道設備ですから数百年の年月が経過しているわけです。

驚くべきことに、明治維新後も、その数百年経過した江戸時代の水道設備をそのまま使い続けていたということです。

数百年レベルのものが明治以降も使い続けられるわけですから、江戸時代の技術力はよほどすごかったのだろうと思います。

しかし、そういっても数百年経っているわけです。

さすがに老朽化がしていますから、水の衛生面での問題があります。

そして、東京の人口は増える一方。

このままではさすがにヤバイとなったのでしょう。

1888年から近代水道の整備が本格的に始まったのでした。

それは玉川上水をベースにした整備方法でした。

玉川の水を新宿の淀橋浄水場まで運び、ろ過するという方式です。

徐々に通水区域は広がり、1911年までには全ての水道整備は終わりました。

とりあえずザックリ書くとこんな感じですね。
(水道整備に関しての詳細は、また別の機会で書くかもしれません)

しかし、この近代水道も江戸時代の水道設備があったからそれをベースに作ることができたわけです。

1から全て建設しようとしたら、もっと時間がかかっていたことでしょう。

だから僕は江戸時代の水道設備はすごいと思うのです。

多摩湖の建設

水道整備が終わったということで、今度は貯水池を作ることになりました。

貯水池とは、河川の水を一定量に貯めておくための池です。

なぜわざわざ貯める必要があるかというと、河川の水は常に一定の量の水が流れているわけではありません。

天候や環境によって河川の水量は増減します。

つまり、いきなり水が枯れてしまうなんてことも起こりうるわけです。

それを防ぐために、貯水池が必要だったわけです。

そしてその貯水池を狭山丘陵(つまりトトロの森ですね)に作ることにしました。

1913年より貯水池建設のための事業がはじまり、実際に工事が始まっったのは1916年で、1927年に貯水池が完成します。

この貯水池は村山貯水池と呼ばれるものですが、この村山貯水池は多摩湖のことです。

さて、狭山丘陵には北側と南側に大きな2つの川が流れていて、それぞれ渓谷を作っていました。

北側に流れていたのは綾瀬川、そして南側を流れていたのが宅部川です。

村山貯水池(多摩湖)は南側の宅部川が創りだした渓谷を利用して建設したのでした。

そして1927年に村山貯水池(多摩湖)が完成します。

これで東京市民のための水源が確保でき、めでたしめでたしでした。

と言いたいところですが、そうはなりませんでした。

というのも、東京の人口は更に増える一方で、村山貯水池(多摩湖)だけでは東京の水はカバーできないという状態だったのです。

10年以上の歳月をかけて多摩湖を作ったのに悲しいことです。

さらに狭山湖の建設

東京の増加する人口に対しては多摩湖だけでは間に合わない・・・。

その対策として、更に新しく貯水池を作ろう!ということになりました。

もうここまででお分かりになったかと思いますが、この新たな貯水池が狭山湖(山口貯水池)になります。

先ほど狭山丘陵には北側と南側に大きな2つの川が流れていて、南側の宅部川を利用して建設したのが多摩湖だと村山貯水池だと書きました。

狭山丘陵には、まだ手を付けてない北側の綾瀬川が流れています。

この綾瀬川の渓谷を利用して新たに貯水池を作ってしまえ!ということになったわけです。

しかし、問題がありました。

綾瀬川の周りには人々の集落が存在していたのです。

それは、今は亡き勝楽寺村、そして山口村の一部です。

狭山丘陵の渓谷にあるこの地域は、とても自然豊かな場所でした。

この地域の村人たちは一丸となって織物の生産をしていました。

その織物は『所沢絣』というのもです。

明治時代以降、これらの地域で織物が盛んになった時期がありまして、所沢絣の生産で東北や北陸地方を中心に全国へ出荷されていたそうです。

この地域は所沢や青梅、八王子方面への道路も存在していたとのことで、このことからも渓谷に存在するこの集落も陸の孤島というわけでは無かったと僕は思います。

さて勝楽寺村と山口村の一部が存在するこの地域、狭山丘陵の渓谷にあるこの場所は貯水池建設に理想的な場所だったのでしょう。

水不足の東京市民の水源確保、そのために貯水池を何としてでも作りたい。

しかし、その建設の理想的な場所は集落が存在している。

さて、どうしたのかといいますと、とても悲しいことですが東京市民の水のために、勝楽寺村と山口村の一部の人々に犠牲になってもらったのでした・・・・。

次の記事で、もう少し具体的にこの事について書いていきたいと思います。
続きはこちらです

狭山丘陵・トトロの森については、以下の記事もぜひ御覧ください。

『となりのトトロの舞台!埼玉の狭山丘陵『トトロの森』まとめ』

『となりのトトロ』関連の他の記事も御覧になりたい方は以下もチェックしてみてください。
『スタジオジブリ となりのトトロのまとめ』

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