宮崎駿の絵の描き方から見るとなりのトトロのメイのサンダルシーン!

宮﨑駿の絵の描き方には、ある特徴があります。

その特徴を踏まえて、メイのサンダルが見つかった神池のシーンを考えてみたいと思います。

前回に引き続き『となりのトトロ』関連の記事を書いていきます。
(前回の記事は『となりのトトロでメイのサンダルがあった池が実在?3つの根拠』です)

トトロ記事を書くきっかけになっている、トトロの森に友達と訪れた事については『となりのトトロの舞台モデル 所沢のトトロの森へのアクセス方法は?』の記事で書いていますので、よかったら御覧ください。

前回の記事前々回の記事の2回に渡って『となりのトトロ』の神池と狭山丘陵にある宅部池を比較して書いてきました。

『トトロ』の新池は宅部池がモデルになっているのではないかと僕は考えているからです。

その根拠については大きく2つありました。

1つは宅部池で過去に水難事故です。

ある少年が池で遊んでいたところ溺れてしまい、それに気がついた2人の青年が助けるために池に飛び込んだものの、3人とも犠牲になったというものです。

『トトロ』の神池のシーンは「メイのサンダルが見つかった!」ということで、大騒ぎで池の中を捜索している場面です。

池の畔でおばあちゃんが念仏を唱えているその様は、もうメイは助からないだろう・・という悲壮感溢れています。

僕はこの神池のシーンが宅部池の水難事故を暗示しているように思えました。

詳しくは前々回の記事『メイのサンダルが見つかった池は心霊スポットか?となりのトトロ考察』を御覧ください。

根拠の2つ目は地理的な共通点です。

それは宅部池も神池もどちらも池の近くを電車が通っているということです。

ただ近くを通っているだけではなく、線路は土手の上にあり、さらに単線だという共通点があります。

詳しくは前回の記事『となりのトトロでメイのサンダルがあった池が実在?3つの根拠』を御覧ください。

これらの根拠によって僕は『トトロ』の神池は宅部池が元になっているのだと考えました。

しかし、僕はこの考察にはちょっとした問題点があると感じています。

今回の記事では、そのちょっとした問題点について書いていきたいと思います。

スポンサーリンク

池から電車までの距離

さて、考察のちょっとした問題点ですが、それは地理的なことについてです。

『トトロ』の神池も宅部池も近くを電車が走っているという点では共通です。更にその電車の特徴、土手の上に線路がある、単線、という点も共通しています。

ところが、ある点において神池と宅部池では異なっている点があります。

それは、池から電車の線路までの距離です。

『トトロ』の神池のシーンでは、池の真横の土手の上に線路がしかれていました。

行方不明のメイを大人たちが池の中を必死に探している真横を電車が通り過ぎてくのを覚えている人もいると思います。

しかし現実にある宅部池は、池の真横には線路がありません。どのくらいかというと、数100メートルは離れています。

実際に地図を見てもらったほうが速いでしょう。前回の記事でも引用した地図を載せてみます。

いかがでしょうか?

確かに電車の線路は宅部池の横にあります。しかし、池から線路までの距離は宅部池の直径を超えるほどの距離です。

実際に僕はここへ訪れましたが、宅部池の周りは木が生い茂っていて、池からは電車の線路は見えません。

よって、『トトロ』の神池みたいに、池の真横を走る電車を眺められないということになります。

つまり、神池と宅部池はこの点で印象が変わってしまっています。

このことが、『トトロ』の神池=宅部池という考察における問題点だと僕は思っています。

さて、この問題点について僕はどのように捉えるべきか悩みました。

というのも、僕の中で『トトロ』の神池は宅部池がモデルに違いないと思っているわけですから、この考えを中途半端なものにしたくないと思っていたからです。

なぜ、池から線路までの距離に違いがあるのか?

僕はこの疑問を解消するために、色々と調べていきましたが、興味深い事実に気が付きました。

それは、『トトロ』を制作した宮崎駿監督は絵を書く時に資料を見ないということです。

資料を見ないで絵を描く宮崎駿

『宮崎駿監督は資料を見ずに絵を描く』。このことは、プロデューサーの鈴木敏夫さんが述べています。

以下に鈴木敏夫さんの言葉を引用します。

ちなみに、彼は絵を描くときに、資料はいっさい見ません。あるとき、みんなでアイルランドへ遊びに行ったとき、こんなことがありました。
(中略)

気がつくと、宮さん、立ち止まってじっと見ている。感受性のうすいぼくにもわかりました。なんとも綺麗な風景のなかに僕らが泊まる民宿があったのです。めずらしくカメラを持っていた僕が写真を撮ろうとシャッターを切ると、めずらしく彼がいきなり怒り出しました。

「やめてください!」

気が散るというのです。仕方ないので、じっとしている。時間にして五、六分だったでしょうか。ややあって、「帰りますか」ということになりました。

それから半年後、『魔女の宅急便』という映画を作っていたときのこと。宮さんが一枚の絵を描いてぼくのところへ持ってきたんです。

「これ、覚えていますか?」

覚えているも何も、あの民宿。顔を見ると、いたずらそうな顔をしています。

「だいたい、思い出したんだけど、思い出せないところがある。鈴木さん、あのとき、写真を撮ったよね。」

こうしてオリジナルの絵が生まれます。思い出せなかったところは想像で埋めます。

出典元:鈴木敏夫、『ジブリの哲学──変わるものと変わらないもの』、岩波書店、2011年、36ページ

このように、宮崎監督は絵を描く時には資料がいっさい見ないのです。

「思い出せない想像で描く」と鈴木さんは言っていますが、このことから宮崎監督は、とある場所をモデルに作品を描くときは、絵にする過程で現実モデルとは違う要素が入り込むということです。

ということは、例えモデルに存在しない要素でもイメージが膨らんだ場合はあえて作品に盛り込むのではないかと僕は思います。

こう考えれば、宅部池と『トトロ』の神池における電車の線路までの距離に変化があってもおかしくないのではないかと僕は考えました。

これが1つの大きなポイントです。

そしてもう1つポイントがあります。

それは、宮崎駿監督の電車に対しての思い入れです。

スポンサーリンク

宮崎駿の電車への思い

僕は宮崎監督は電車に対してある種の思いを持っていると感じています。

『千と千尋の神隠し』のインタビューで宮崎監督が作中の電車について述べている部分を読んでそのように思いました。

その部分を以下に載せます。

───後半部分で千尋が、ハクと一緒に空を飛ぶというシーンが久しぶりに見られて、宮崎ファンタジーの真骨頂だと思ったんですが、その部分はストーリー作りの最初のうちからあったのですか?(中略)。

宮崎(中略)空を飛ぶか飛ばないかっていうのは考えてませんでした。ただ、電車に乗るとは勝手に思っていましたから。電車に乗るんだと言い続けていたので、乗れたときは嬉しかったですね。木陰にずうっと電車の音が聞こえるだの、電車が走っているショットを積み重ねていったんですけど、僕の今までの経緯だと、そうやったら普通にただ電車が風景だったってことで、終わることもあるもんですからね。千尋が電車に乗れたっていうのはよかった、空飛ぶよりも電車に乗れたことの方がよかったと思います。ほんとはもう少しシーンを付け加えたかったんですけども、映画の構成上どうしても入れられなくて、(後略)

出典元:宮崎駿『折り返し点 1997〜2008』、岩波書店、2008年、250〜251ページ

とこのように答えています。

インタビュアーは最後の空を飛ぶシーンについて質問を投げかえたにも関わらず、空飛ぶシーンに関してあまり答えず、そのかわりに電車についてばかり語っているのです。

千尋を電車に乗せることがいかに大事なことだったのかと伝わってきます。

出典元:楽天市場「ジグソーパズル108ピース 千と千尋の神隠し 海原鉄道

しかも、電車のシーンをもう少し付け加えたかったと言っています。

このことから、宮崎駿監督は電車という乗り物に対して、実はかなり強い思い入れがあるのではないかと考えられます。

さて、そのことを踏まえてもう一度、宅部池について考えてみます。

メイのサンダルが見つかる神池のシーンを描くまでの経緯

宅部池があるのは狭山丘陵です。

狭山丘陵は『となりのトトロ』のモデルの場所となっており、宮崎駿監督はこの場所が気に入っていて、しばしば散歩にも訪れているそうです。

さて、ここからは宮崎監督が『となりのトトロ』で神池を描くまでの経緯を僕の想像で書いていきますね。想像なので必ずしも正しいかどうかは分かりませんが、僕が思うまま書いていきます。

狭山丘陵が好きでしばしば散歩していた宮崎監督ですが、その際に宅部池にも来ていたことでしょう。

『メイのサンダルが見つかった池は心霊スポットか?となりのトトロ考察』の記事でも書きましたが、宅部池ではかなり昔に水難事故があり、3人が犠牲になっています。

宮崎監督は、その水難事故に思いを馳せながら宅部池を眺めていたのだと思います。

そして宅部池を眺めているうちに思ったのです。作品の中に、この池を登場させたいと。

宮崎監督は『となりのトトロ』制作にあたり、宅部池をモデルとして神池を描くことにし、作中で神池ではサンダルが見つかったということで、メイの水難事故を連想する形で表されました。

このような感じで宮崎監督は神池を描いていったと思われますが、ここで上述の2つのポイントを思い出してみます。

1点目は、宮崎監督は絵を描く時に資料を一切見ないということ。

2点目は、宮崎監督は電車への思い入れがあるということです。

これらの2点を踏まえて考えてみます。

まずは2点目の電車からです。

電車に思い入れのある宮崎監督は宅部池を訪れる際、近くを走る西武多摩湖線を見た時に感覚的に刺激を受けたと思われます。

前回も僕が撮影した写真を載せましたが、西武多摩湖線は土手の上に線路があります。

img_4504

自然豊かな狭山丘陵で、土手の上を走る電車の姿は独特な風情を醸し出しているのです。
(ちなみに、走っている電車の姿を撮影しようとしたのですが、ミスって撮れませんでした。)

宮崎監督は宅部池に訪れる際に、土手の上を走る多摩湖線の電車を見て、その風情ある姿が印象に残ったことでしょう。

そして、宮崎監督の中で宅部池の事を考えると自然と西武多摩湖線も浮かんでくるようになったのではないかと思います。

ここでさらに上述の1点目も合わせて考えていきます。

鈴木敏夫さんの言葉にもあるように、宮崎監督は絵を書くときには写真などの資料を一切見ずに書いていくわけですが、その際に現実にはない要素も想像で描いてしまうということでした。

宮崎監督は『トトロ』製作で絵コンテを書くにあたり、宅部池を想像しながら神池のシーンを描いていきました。

しかし宮崎監督の中では宅部池とともに池の近くを走る西武多摩湖線の印象も強くあったため、この2つがドッキングしてしまったのではないかと思われます。

つまり、数百メートルは離れている宅部池と西武多摩湖線の距離をなくし、池の真横に電車が走っているというイメージを頭の中で作り上げてしまったのです。

そうしたイメージで作り上げたのが『トトロ』の神池のシーンです。

スポンサーリンク

一瞬しか映らない電車

神池のシーンでは、大人たちがメイを必死に捜索している様子が描かれていましたが、その横を電車が通り過ぎます。

誤解を恐れずに言えば、あの電車は描かなくても物語には支障はなかったことでしょう。

なんせ、画面に映るのはほんの一瞬ですし、その走っている電車を描くのは手間もかかって大変だからです。

しかし、それでも神池の真横の土手の上に電車を走らせたのは、宅部池と西武多摩湖線のイメージが強くあったからだと僕は思います。

あの土手の上を走る電車が、宮崎監督の中では神池のシーンで必要だったのでしょう。

最後に

さて、だいぶ長くなってしまいましたが、以上が『トトロ』の神池と宅部池の電車の線路までの距離の違いについての僕の考えです。

数回に渡り、神池と宅部池を比較して書いてきました。

やや強引な解釈だったかもしれませんが、僕は宮崎アニメを見ているとこのような事を考えたくなってしまうのです。

宮崎アニメには視聴者に対し感情を刺激し、それによって様々な事を考えさせる力があるでしょう。

それぞれの作品の持つ力は、感性豊かな人にはもちろん、僕のような感覚の鈍い人間に対しても強い刺激を与え、そして色々と考えさせてしまいます。

その結果として、今回のような解釈が僕の中に生まれました。

なので、その事を記事にしてしまおうと思い書いてきました。

これからも僕は宮崎アニメについて記事を書いていくことでしょう。

しかし、書いても書いても書ききれないことだと思います。

そのくらい宮崎アニメの可能性は無限大なのです。

数回に渡り宅部池について書いてきましたが、次回の記事では僕が実際に宅部池に訪れたときのことを書いていこうと思います。

次の記事へ続きます。

『となりのトトロ』関連の他の記事も御覧になりたい方は『スタジオジブリ となりのトトロのまとめ』を御覧ください。

他のジブリ宮崎アニメについては『スタジオジブリを引退した宮崎駿作品まとめ!監督の復帰に期待!』の記事を御覧ください。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする