日本で最初に開業した東海道本線は海の上を走っていた!

JR東日本の東海道本線。

東京駅から熱海駅を結ぶこの路線は、JR化以前の国鉄時代は東京駅〜神戸駅までを結ぶ長距離路線でした。

現在では、東京〜熱海をJR東日本、熱海〜米原をJR東海、米原〜神戸をJR西日本が受け持っています。

ちなみに僕は東京に住んでいますので、東海道本線と言えば、JR東日本の東京〜熱海を走る路線のイメージが強くあります。

さてJR東日本の東海道本線ですが、最近は上野東京ラインの開業により、ほぼ全列車が東京を突き抜け、高崎線や宇都宮線に直通するようになりました。

これにより利便性が格段に上がったと思われますが、僕の個人的な思いとしては、『東海道本線のアイデンティティ』が薄まったように思え、正直言うと上野東京ラインはどうも好きになれないという感情があります。

あくまでも東海道本線は東京始発であるのが東海道本線らしいと僕は感じていましたし、上野東京ラインで直通するにしても、全列車ではなく、ある程度は東京始発も残しておいて欲しかったと感じています。

前置きが長くなりましたが、今回は東海道本線の初期について注目してみます。

初期の東海道本線では線路が海上に存在していたとのこと。

海の上に線路とはどういうことか?

今回はそのことについて書いていきます。

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日本で一番最初に出来た鉄道

さて、日本で最も最初に作られた鉄道はどの路線かご存知でしょうか?

答えは、東海道本線です。

今でも多くの人々を乗せて走っている東海道本線が、日本で最も最初に作られた鉄道だったのです。

人々はあまり意識していなかったでしょうが、歴史ある路線なのです。

それでは、その東海道本線はいつ作られたと思いますか?

答えは、明治5年です。

いかがでしょうか。

早いと思いませんか?

明治5年ですよ?

少し前まで江戸時代だった日本に、たった5年で鉄道を作ったのです。

当時の日本人の恐るべき適応力を感じてしまいます。

といっても、東京〜神戸まで線路を作ったわけではありません。

この当時は、まだ新橋〜横浜までの間でした。

まあ、それでもすごいことには変わりありません。

鉄道の日は東海道本線の開業日

日本の記念日の中には『鉄道の日』というのがございます。

日にちは10月14日です。

この鉄道の日には、鉄道のイベントが各地で行われたりします。

代表的なのは日比谷公園で行われる『鉄道フェスティバル』ですね。

実はこの10月14日は東海道線が開業した日なのです。

当時日本は旧暦を使われていましたから、開業日は9月12日となっていますが、西暦だと10月14日となります。

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海の上を走る東海道本線

さて、この明治5年に開業した東海道本線ですが、明治維新の直後に鉄道を作ってしまうという驚きの事実の他に、もう1点ビックリする事があります。

それは東海道本線は海の上を走っていたという事です。

『海の上を走る鉄道』と言えば、『千と千尋の神隠し』に登場する海原電鉄、またそのモデルとなった名鉄常滑線を連想します。

海原電鉄や常滑線については、以下の記事で書いていますので良かったら御覧ください。
⇓    ⇓
『千と千尋の電車シーン考察!人が透けている謎と千尋が電車に乗る理由』

『水上を走る電車が実在した!千と千尋の神隠しのモデルと言われる鉄道』

海の上を走っていたのは東京市内、つまり新橋〜品川の間の半分くらいです。

しかし、なぜ当時の東海道本線は海の上を走ることになったのでしょう。

沿線住民からの反対

当時は新橋〜品川は東海道に沿う形で路線を敷く予定でした。

ところが東海道の沿線住民は鉄道を通すことに沿線住民が猛反対しました。

当時、鉄道は今みたいに電車ではありませんでした。

蒸気機関車です。

蒸気機関車は電車よりも音は大きいし、煙もメチャクチャ出ます。

煙はススだらけです。

音もうるさいです。

江戸時代をいきてきた人々にとって、煙を吐き出しながら轟音を鳴らし通り過ぎる鉄の塊など公害でしかないと感じていたのでしょう。

鉄道による利便性をまだ知らなかったわけですから当然といえば当然です。

さて、このように猛反発を食らってしまったわけですが、国営はとにかく一刻も早く東海道線を通したかったのです。

線路を通したくても通せない、、さあどうしよう、、、、、という状態でした。

そこで出た案が、鉄道を海の上に走らせてしまえ!というものだったのです。

なかなかとんでもないアイディアです。

ですが、それを実行しました。

海に石垣を作り、その上に線路を作り列車を走らせていたのです。

今では、こんなことは考えられません。

海の上を走らせているなんて、嵐や台風の日とか、線路が流されたんじゃなかろうか??と僕は思ってしまいます。

どういった対策をとっていたのでしょうかね。

当時の運行状況など詳しいことはこれ以上わからないため、詳細は不明ですが、いったいどのように走らせていたのか、また線路を管理していたのかが、非常に気になるところです。

是非1度でも実物は見てみたかったなと思います。

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